ハニィドグゥ

埴輪と土偶が作りたくなるフリーペーパー 「ハニィドグゥ」のブログです。 作りたくなった人向けに東京(谷中)にて 土偶&埴輪づくりワークショップも開催しています。 下町の小さなアートギャラリー、アートスペース谷中ジンジャーが主催しています。御朱印帳ワークショップや御朱印関連ネタ、店主の雑談など多め。TOKYO, JAPAN

【無駄話】歌丸さん

ツイッターとか見てるとまだまだどんどん歌丸さんの動画が上がってきてて、こんなにも国民に愛されていた方なんだなあと、改めて感じる次第でございます。

 

12年前。

 

笑点歌丸さんしか知らなかった頃、歌丸さんはちょいちょい入院されたりしていました。髪も少なく、華奢で、見るからに弱々しい、下手をすると近いうちに亡くなってしまうのではないか?などと不謹慎にもおもったものでした。

 

今のうちに、生の、落語をしている歌丸さんを見ておかないと、きっと後悔する。

 

そんなことを思っていました。

 

ただ、落語なんて聞いたこともない、寄席なんてよく分からない、歌丸さんはどこでみられるの?

 

そんな状態でした。

 

ネットで調べて分かったのは、国立演芸場と言うところに出るらしい、ネットでチケットも買える、ただ人気過ぎてすぐ売り切れる、そんな感じでした。

 

寄席に行けば予約とかいらない、ってのはまだ知りませんから、必死でネット予約を頑張りました。そして10日間くらいの公演のうちの1日だけ、後ろの方でしたが予約できました。

 

そして

 

2006年8月19日、初めて国立演芸場で、歌丸さんの高座を拝見しました。怪談牡丹灯籠と言う三遊亭圓朝の作となる長い長いお噺。その一部(と言っても1時間弱もある)を聞きました。初落語鑑賞だったかと。それまで、落語と言えば滑稽噺ばかりかと思っていましたから、爆笑するような箇所の殆どないこの噺を、1時間弱も聞いて、こういう落語もあるんだねえ、なんておもったものでした。ただ、不思議と長いとは感じなかったです。普段笑点大喜利で見ていた歌丸さんとは全然違う、真剣な表情、語り口、長い噺にも関わらず、続きが聞きたい、もっと聞いてみたい、と思いました。

 

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それから、5年ほど、歌丸さんの追っかけが始まりました。

 

スケジュールと予算のつく限り、あちこちと見て回りました。

 

変わったところでは、立教大学の教室で、在来種がどうのこうのっていう難しげなお話。そこはさすがに噺家さんだけあって分かりやすくユーモアたっぷりにお話されました。内容はよく覚えていませんが、相模湖でボートに乗って釣りをするっておっしゃっていたのをうっすら覚えています。

 

谷中の全生庵で、落語協会主催の落語まつりが開かれた時に、落語芸術協会の会長として招かれていらっしゃったの時も見に行きました。それが僕の初めての谷中訪問でした。

 

今はなぜか、谷中にどっぷりと浸かっていますが、谷中へのきっかけも歌丸さんでした。

 

ちなみに全生庵は、初めて歌丸さんの落語を聞いたときの演目である怪談牡丹灯籠の作者、三遊亭圓朝さんのお墓があるお寺です。

 

 

笑点の観覧にもよく行きました。寄席とか落語会と言うとどうしても数千円の入場料が要りますが、笑点は無料🤣

抽選に当たらないと行けないので、応募し続けて4〜5回に1回くらい当たっていたと思います。(実は、抽選に当たらなくても当日早く並べば最後尾の立ち見で見られるのですが、余裕を持って座って見たい場合はやはり抽選に当たるしかありません)抽選に当たっても、早く行かないと良い席にはつけません。一番良かった時で、オープニングの挨拶の時の歌丸さんが会場内の席に座って挨拶する席が決まっているのですが、その3列くらい後ろ、テレビに若干映ってしまう辺りに座ることが出来ました(テレビにはあまり映りたくないのでギリギリの場所を選びました)

 

そんな感じで、歌丸ウォッチャーとして、東奔西走していました。

 

歌丸さんの落語で特に印象に残っているのは、「竹の水仙」と言うお噺。

大工の名人である左甚五郎が泊まった旅館で竹で作った水仙の花に水を入れるとパッと開いて咲いたようになると言う、それが評判となって…そんなお噺です。

 

落語 竹の水仙 桂歌丸 - YouTube

 

得意のお噺なようで何度も耳にしたのでよく覚えています。

 

やはり落語の時は、笑点の円楽さん(腹黒の方)との掛け合いとはまた違って、品がありますね。

 

笑点では、先代の円楽さんや、当代の円楽さんとのバトルがよく知られていますでしょうが、そのずっと前は、三遊亭小円遊というニヒルを気取った噺家さんとバトルをしておりました。小円遊さんはお若くして亡くなられてしまったので、その後が円楽師弟とのバトルへと移り変わった訳です。馬の円楽さんも気取り屋でしたし、腹黒の円楽さんはインテリ気取りですし、そう言った気取り屋タイプに対して、皮肉や嫌味を言う役どころだった訳です。どうもそのイメージが強かったので、落語の歌丸さんは随分イメージが違いました。

 

さて

 

書きたいことは山ほどあるのですが、キリがないのでこれくらいにして、歌丸さんが亡くなってしまった今、もう二度と高座での姿が見られないのが本当に残念でならない。もっと見ておけば良かった、と後悔しております。

 

幸い、DVDなどで映像も沢山残っているようなので、そう言ったものを見ることはできますが、高座での所作、音、空気、生だからこそ感じられる様々なものは残念ながらそこからは伝わってきません。

 

歌丸さんの長い噺家人生の本のいっときですが、ウォッチャーとして見ることが出来て本当に良かった。

 

ありがとうございます。